特集は「デザインの旅」。コロナ騒動をどう乗り切るか、大きなヒントが「デザイン的思考」にあります。下記は巻頭提言。ぜひ、ご自宅でゆっくり読んでください。
「名詞型デザイン」から「動詞型デザイン」へ。
「デザインの旅」と聞いて、皆さんは何を連想するでしょうか?
建築、ファッション、アート……クリエイティブの最先端を感じるなら、ニューヨークやパリ、ミラノ、ロンドンは外せないでしょう。心地よい暮らしを体感するにはコペンハーゲン、一方で歴史を超越したデザインを感じるならローマやバルセロナも訪ねてみたい街と言えるでしょう。
さらに近年、注目が集まる「ソーシャルデザイン」「コミュニティデザイン」という観点から考えると、ポートランドやシアトル、アジアなら台北が挙げられますし、都市計画ならシンガポール、躍動感あふれる街を感じるなら上海や深センも外せません。
さて。あらためて今回の特集は「デザインの旅」です。
従来、デザインとは「デザイン」という言葉の前に「グラフィック」とか「ファッション」「建築」などのジャンルを示す言葉が付くことが一般的でした。広辞苑では「①下絵。素描。図案。②意匠計画。」としていますし、大辞林にも「行おうとすることや作ろうとするものの形態について,機能や生産工程などを考えて構想すること。意匠。設計。図案。」とあります。
しかし今、デザインという言葉は、「名詞・形容詞」から「動詞」へと大きく変わりつつあります。「街をデザインする」「社会をデザインする」「仕組みをデザインする」などなど。その背景にあるのは「行き詰まった社会に対しての価値提案、AI社会に対する新たな価値の創造は、デザイン的思考からでしか得られない」と多くの人が気付き始めたからに他なりません。
デザインが「動詞」に変化しつつあるのは、けっして不思議なことではありません。もともと「デザイン」には「設計」の意味があります。社会問題を解決するのためのデザイン。より人間らしい生活を得るためのデザイン。むしろAIに対抗するための唯一の手段が「デザイン」なのかもしれません。それは私の言葉でいうところの「人間力」でもあります。
今回の特集では、建築、アート、ファッション、グラフィックといった、従来の「名詞型デザイン」から、人間力を感じる「動詞型デザイン」を感じる街を主に取材しました。
取材先を国内に限ったのは、「動詞」の時代、海外を模倣することには意味がなく、自ら生み出さないと価値がないから。そして国内には様々な芽が生まれつつあります。たしかに「動詞」としてのデザインにおいて日本は遅れ気味です。しかし世界を見渡してみれば、「動詞型デザイン」の世界においては、むしろ「日本らしさ」を世界が模倣しているのです。それはポートランドでいうところの「ネイバーフッド」であり、台湾における「自らを考える意識」でもあります。
世界が日本化するなかで、私たち日本人は何を考えなければならないのか。グローバル化の反対側、資本主義社会の反対側に何があるのか。過去のイデオロギー論争から自らの頭をリセットし、そのバランスと最適化を考える。これこそが「人間力」であり、「動詞型デザイン」であると思うのです。
今回のコロナ騒動でわかったことは、人類はインフォデミックで滅びる寸前であること。情報流通網が発達し、経済がグローバル化し、AIが浸透したおかげで生活が豊かになったことは間違いありません。その一方で経済も、コミュニティーも一瞬で崩壊することもわかりました。
さて、私たちは何をすればいいのでしょう。
旅でもしながら考えようじゃありませんか。
自遊人編集長 岩佐十良
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